夢殿
ここは、奈良県法隆寺 。駐車場からほどなく開放的な場所に出る。綺麗に整備され、広い道。なんとも開放的だ。人もそんなにいない。夏でも涼しさすら感じられる。ここは良い避暑地だ。
晴天の中清々しく開けた通りを歩いていく。門をくぐるとあるのは、聖徳太子の斑鳩の宮の跡、夢殿。日本でも珍しい八角円堂だ。この形は、中国の八方位陰陽説から来ている。
中宮寺
小池の橋を渡り中に入る。東洋の美女が姿をあらわす。数少い古典的微笑(アルカイックスマイル)の典型として高く評価される。エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで ” 世界三大微笑像 “ とも呼ばれている。テープによる説明に耳を傾ける。時折りセミの鳴き声と風の音が混ざり心地よい。縁側に腰を下ろし上を眺めると周りの堀の水が屋根裏に心地よく揺らめいてキラキラしている。なんとも心が落ち着く場所だ。
他にも見どころはたくさんあるので是非足を運んで法隆寺の素晴らしさを味わってください。
葛城相撲館
ところ変わって、葛城相撲館へ。
要所要所での改革。
時代の流れに臨機応変に対応するビジネスセンス。
4つの柱が視界を妨げていた。
テレビ放送が始まるから、柱を取っ払い、柱の代わりに屋根の四隅に黒、青、赤、白(黒は玄武、青は青龍、赤は朱雀、白は白虎)の房を下げた。
元々は、見世物で地位が低かった。
それを払拭する様に、土俵を作り四隅に神様を祀る柱を立てた。
ラジオが始まるから仕切り線(土俵中央の2本の白線)で、時間制限をもうた。
それまでは、力士の呼吸が整うまでは、何度も「まった」がかかり、1時間以上も試合が始まらない事もあった。
土俵の丸い縄は、元々2重だった。天覧相撲の際に一つにし15尺にした。相撲をより楽しむ為と言う説がある。更に土俵を広げた事が一度あるが、これまでの慣れた範囲でやっていた力士も慣れないだろうし、直ぐに廃止になった。
土俵の円縄が途中で一部ずれている様に見えるのは、元々外で行われていた競技で雨天などでの排水に利用していたなごり。
この溝が相撲を楽しくする要素でもある。
国技となったのは、作家の江見 水蔭(えみ すいいん)が執筆した開館式の案内文(「相撲は日本の国技なり」という内容をヒントに国技館と命名したから。
昔の文献では、特に国技とはうたわれていない。大衆がそう認知している。
送り足(相手を吊利上げて、既に勝ちとわかっている場合に先に足を出しても問題ない)
現在では、判定の重きを単純に足が先に出た、手が先についたなどに向けられ、誤判定をされてしまう可能性があるので力士も気を遣っている様だ。
ある財閥との関係と特別席。
などなど、色々と館内のおっちゃんが教えてくれた。
国技館の屋根は、法隆寺金堂を模していた。という事で、なんとなく繋がった。
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